【R18ショートストーリー】『本命なんていらないし』【甚平ver.】
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あらすじ:鵜方岬(うかた みさき)は恋が実る可能性が低い相手を好きになり、失敗の連続でいつも誤解を生んできていた。
2ヶ月後に編入学を控えたある日、岬は大学の友達主催の飲み会に参加する。酔った岬を送り届けに家に来た友達の今藤甚平(こんどう じんぺい)に詰問された。
「鵜方の本命は誰?」
甚平の問いかけに後ろ暗い部分を持つ岬が、「教えない」と答えてしまったことで、関係に変化が生まれてしまって……。
恋愛も性愛も上手くコントロールできない岬と「友達」のショートストーリー。甚平ver.
※もともと一本の話でしたが、3人のヒーローでそれぞれエピソードを分けて短編にしてみました。
「本命は?」の選択肢に「答えない」と答え続けるとハッピーエンドになるノベルゲームもいいな、と構想しましたが、結果やめました。
諸々の理由により、よそ様のサイトに投稿するのは微妙なので、こちらに置きます。
飲み会
同じ大学の知り合いたちが話をしている声が聞こえていた。私の隣には憧れの先輩の弟達がいる。
私は後2ヶ月で地元の大学に編入学することになっている。もし、そうじゃなければ、同じ大学のメンバーとの飲み会に参加していなかったと思うのだ。
高校時代からお世話になって来ていた先輩達とは、進路が別れてしまっていた。
ユースに所属していた莉子先輩は、高校卒業と同時に地域リーグのプロサッカー選手になっている。玲奈先輩は美容専門学校に行き、美容師としての修行をしていたし、美波先輩は美大に進学していた。
進路が別れてしまったけれど、先輩達とまったく交流がなくなったわけではなく、私は先輩たちに呼ばれたら、どこにでも行く。
特に、あの先輩に呼ばれれば尻尾を振ってどこにでも行くと思う。
隣で飲んでいるのは玲奈先輩の弟の、今藤甚平だ。学内では有名な遊び人で、キャッチ&リリースの恋愛ばかりしているらしい。この頃は知り合いのバーでバイトをしているらしく、飲みに来れば?と言われていた。
チラッと視線を向けたら、
「鵜方は飲み足りてないっぽいなぁ、もっと頼めば?」と今藤が言ってくる。
「やだよ、帰って寝落ちしてる場合じゃないから」
「何すんの?」
「ゲーム」
「え~ゲーム?色気ねぇ~」
「今藤だって、ゲームするじゃん。昨日も参加してたよね?」
「暇つぶしだって、彼女いたら彼女と遊ぶ方がいい。イチャイチャしてぇ~」
「彼女作ればいいじゃん」
「じゃあさ、鵜方は最後やったのいつ?」
「はぁ?!教えるわけないじゃん、バカじゃないの!」
そんな話をしていたら、今藤の隣で夏川が成瀬佑をゆすっていた。
「佑、寝るなって……!重いんだから運べないし」
「眠いぃ……」
「佑ってさ、飲むと眠くなる系の奴だよなぁ、マジで損してる」
「酔い方に損とか得とかってある?」
「飲むとエッチになる子は得じゃん」
今藤が猥談に持って行こうとするので、適当にあしらう。
「エッチになる男は得じゃない。警戒しかないって」
「へぇ~名越先輩はそういうタイプだったってこと?」
「甚平、突っ込みすぎ」
夏川の視線がこちらに余韻を持って注がれるので、私は思わず顔を逸らした。
「名越先輩?誰だよって感じ」
すっと夏川と今藤が息を吸う気配がある。白々しい、と夏川が呟いた。
「もう、話さない。話しかけないでくれる?」
「悪かったって……」
隣の今藤と話すのがイヤだったので、逆サイドのメンバーと話そうとしたら、アイドルの話をしていた。
「デジチケ、中積した。逆サイドだったんだよね」
「サイチェン何万?」
「両手両足じゃおさまんなかったぁ、またバイトしなきゃ。でも、希来里の毛穴見れたからオーケぇ」
「いいなぁ!脇汗みたいぃ!」
(中積ってなに?サイチェン?どこの用語?)
逆隣では、三人の声がする。
「起きろってば、佑!」
「……すやすや」
「うわ、どうすんだよ、誰が運ぶわけ?」
こっちのノリに入るのも厳しいと感じたので、黙って飲むことにした。
気がつくと眠くなっていて、トントンっと肩を叩かれる。
「起きろよ」と言われた。うん、と言って起きあがったらふらつく。あぶね、と言って支えてくれたのは、今藤だ。
「送ってく」と言った。
本命は誰?
自分の中でうごめくものがお腹の裏側の固い部分に触れて、腰が跳ねた。そしてその刺激で目が覚めてくる。
「この裏側って、全部が性感帯なんだよ。――――スの裏だから、そりゃ刺激的だって」
「え……?」
ずるッと何かが自分の中から抜けていく感覚があって、ふぅっと息を漏らした。内腿の上を誰かの指先が走り、湿ったものを塗りたくられる。
「なぁ、鵜方。それでさっきの話の続き」
今度は耳に湿った吐息が当たって来て、囁かれた。なあ、教えろよ、と言われて、そこで本格的に目が覚めた。
周りには見慣れた雑貨が散らばっていて、フィギアが飾られていた。バイト代を叩いて買ったゲーミング用のノートパソコンが開いたままなのが見える。床から見あげる部屋の光景は新鮮だ。
私に覆いかぶさってくる影の主は、さっきまで隣で飲んでいた相手だった。全身裸で私もまた、何も身に着けていない。
「こ、今藤?どうして?」
「悪い、鵜方。飲ませすぎた。でも聞きたいことがあんの」
「聞きたいこと?」
「ああ、鵜方の本命が誰かってこと」
「……」
いつになく真剣なまなざしで今藤はこちらを見る。
私の本命……?
「教えない」
「そっか。それじゃ仕方ねーな」
一度中から出てきた指が、再び内部に這いのぼって来る感覚があった。ぴと、と生生しい音がして、私は頭をふる。
「な、なんで、今藤」
「オレだけじゃない。佑も海翔も聞きたいことがあんの。きっと、それはさ、鵜方も分かってんじゃねぇの?」
今藤が指先を曲げて、私の中の硬い部分に触れて来れば、腰が再び跳ねあがった。
「そ、こ」
今藤の手に自分の手を重ねて、やめるようにしめしてみせる。
「身体はいやがってないけど、な。ぎゅんって締まってる」と呟いて、指を引き抜いた。
「んんっ」
やや強引に太腿を左右に割り広げて、身体を滑りこませてくる。
「無理やりやっても、後味悪いじゃん」
「うそ、そういう奴じゃん、今藤は」
意識がはっきりしてきて、憎まれ口を叩けば、今藤はハハハっと笑った。
「鵜方が本当のこと教えてくれるなら、しねぇよ。無理にやっても、空しいし。で。鵜方、あの写真ってさ――――」
仄めかす内容は私が想像していたものだった。でも、今藤が気になることのすべてに答えてあげるつもりはない。
「無理にやって、いいよ」
私は今藤と向き合うことを拒否する。はぁあ、とわざとらしいため息が聞こえた。
「オレが言うのもなんだけど、自分のこと大事にしろよ」
「うるさ。大事にして来てないくせに。誰とでもいいんでしょ」
「鵜方とは、やったことねぇじゃん」
吐息が鼻先に触れてきて、目をつぶりそうになった。キスされるかと思ったけれど、してこない。
その代わり、熱いものが強引に入り込んできた。
「ひぃ……」
息を飲んだら、
「そんじゃ、やる」
と言って激しい往復運動を始める。
「あぁっ」
早いスピードで奥まで進んでいって去って行くので、呼吸をするのも大変だった。腰を抱えあげられて、皮膚と皮膚がぶつかる音を聞く。
「鵜方……やば――――」
「ああっ」
こんな感覚はあの時以来だ。思い出したくもない。
この夜、私は友達を汚したんだ。
気まずい朝
目覚めたときに傍らに寝息を立てる相手を見つけて、がっかりした。夢じゃなかったんだ。
身体を起こそうとしたら、下着の中に手が入って来た。
「はぁ!?」
押し退けようとするけれど、意外に力が強く下着の中でそろそろとうごめく。
「今藤、やめてってば!」
言っても反応がない。寝息を立てて目をつぶっている。狸寝入りではなさそうだ。
反射的にそばにあるものを触る癖があるのかな?
今藤は好奇心の塊みたいだ。身体のアチコチを触りつくしてこちらの反応を確かめてくる。
ここがいい?そっちのがいい?機械の点検かあるいは、ゲームの攻略みたいに、トライ&エラーをひたすらに繰り返そうとする。
付き合っては別れて、また付き合って別れてをひたすらに繰り返しているらしいという今藤っぽくはある。
かといって許容するかと言えばそうじゃない。私は下着の中に入り込んできた今藤の手をどけた。
今藤のバイト先のバーに行ったことがある。なんなら今藤抜きで通い詰めていたこともあった。
でも、最近は行っていない。
「……」
ゴミ箱を見たら、昨夜の痕跡が残っていた。
何やってるんだろ、と思うとため息が出る。
でも、今藤相手なら、一回きりの失敗と片づけるのはたやすい気がした。
朝ごはんを買いに出かけようとしたら、今藤が目を覚ましてきて、一緒に行こ、と言ってくる。
コンビニは高いから24時間スーパーに行く。カートを押しながらも、近づいてきて腰を抱こうとしてくるので、距離を取る。
「今藤のお尻じゃないよ」
と言ったら、けらけら笑う。言い方は悪いけれど、私目線では今藤は誰でもいいみたいに見える。
「昨日ことは忘れよ。今藤っていつもそんな感じでしょ」
買い物からの帰り道にそう言ったけれど、反応は鈍い。
「今回はそうはいかないんだよな。オレが退いたら、別のやつが来るかもだから」
「何それ」
「佑も海翔も岬の本命が知りたいわけ。教えてくれるなら、その時点でおしまい。教えてくれなければ、ずっとくっついてく」
「そんなの、聞きたい?今藤はさ、興味ないでしょ?幼なじみの佑と夏川のノリに乗っかってるだけで」
「正直、興味があるかって言えばない。でもさ」
今藤はじっと見つめてきて、私の顎に人差し指を添えてくる。
「鵜方のせいでキスのやり方、忘れちったな。鵜方の罪は、重い」
「え」
思わず声が出た。ギンッと威圧するかのような強い眼力で見つめられたら、何かを訴えられたかのように感じる。
「キ、ス」
当然ながら今藤とキスをしたことはない。昨日、今藤は散々私の身体を触って来たけれど、キスだけはしなかった。
「今藤とはしたこと、ないじゃん」
思ったままに言ったら、今藤は私の顎から指を離す。
「そうそ。オレとは、な」
と思わせぶりなことを言う。スッと背筋が寒くなり、昨日今藤が口にしていた言葉を思い出した。
「キスできない」
と目を逸らさずに言う。
「嘘ばっかぁ~私のせいにしないでよ。彼女と散々キスしてきたでしょ」
「あ~それが。最近はさぁ、キス出来ないせいで、やり目だって言われんだよな。唇以外にはやってんのに、それこそ舐めまくってるくせに、なんで口にはしないのって」
「……舐めまくってる口とキスしたくないよ」
「ははは!」
笑ってはいたけれど、じっと私の唇を見つめて来るので、気まずくなる。
また腰に手を回してくるので、ぱしっと手で弾いた。
「今藤とセフレになるつもりないよ」
「そもそもオレ、セフレいたことねぇんだけど?」
「嘘ばっか」
「やった後は付き合うし、付き合ってからやるし。フレンドとやる趣味ない、やった時点で友達じゃなくなる」
「……そんな真面目さ、私にはいらない。やっただけでおしまいにしよ」
今藤の強気な眼差しが苦手だ。私は目を逸らす。
「やっただけで終わりにしたこと、何回あんの」
「……うるさい」
「じゃ、名越先輩は……」
「想像通りだよ、ほぼ経験ないし。それ以上言わないで」
今藤が今度は手を繋いでくる。
「意外に番号が若かった。二番目か」
「……」
「結構嬉しい」
にかッと笑う。
「やっただけで終わりにしようとしてるのに、嬉しいって。変だね、今藤は」
「ははは」
私が言ったら、今藤は笑った。
胸の中がざわざわとする。きつめの表情が緩む瞬間に、思い出される存在がそうさせるのかな?
「やってから付き合うのって、意外にハードル高いんだな。順番間違ったか」
と呟いていた。
手順なんて気にしないで何度となく付き合って別れてきただろうに、今さら何を言っているんだろう?
自宅に戻って買ったおにぎりと値引きのお惣菜を食べてから学校に行った。
※
反射神経
「学校行く前に、ちょっと店寄っていい?」
学校に行く途中で今藤が言う。
「え」
予想外の言葉に答えを迷うけれど、じっとこちらを見つめて来る今藤の瞳が恐ろしくて、いいよ、と答えた。
今藤のバイトしてるバーは彼にとって部活の先輩に当たる間宮享俊さんが経営している。でも、彼にとってはただの先輩じゃない。
「おはーっす」
今藤が店に入ってくのを、私はしばらく見守っている。今藤に誘われて何度か遊びに来たことがあった。
元々知り合いではあったけれど、大学に入ってから、今藤が同じゲームをしていたことを知って、意気投合する。
ゲーム内で一緒に遊ぶことが多い。
初めてここに来たのは、ゲーム内で誘われたからだ。
「あれ、岬?」
少しハスキーな声音が、耳に入り反射神経で振り返った。
「玲奈さん」
自分の声が想像以上にはずんでいることに驚く。
「久しぶりぃ、岬!しばらく来なくなっっちゃったから。心配してたんだ」
そう言って、じっと私の目元を見てくる。
「メイク替えた?」
「うん、玲奈さんが教えてくれたみたいに、カラーの入れ方変えてみたんだ」
「かわいい」
にこっと微笑んでくれる玲奈さんを見ていると、自然と口数が増えてしまう。
「会う機会は減っちゃったけど、岬のアカウントチェックしてるよ。相変わらずゲーム沼だね」
「そう、でもね。最近は外に出るようにしてるんだ」
「ここにも来てよ、享俊も喜ぶと思うし。あ、でももっと喜ぶのは、甚平だと思うけど」
「何、悪口言ってんの?」
店の戸を開けて出てきた今藤が玲奈さんと私を交互に見る。
「昨日帰んなかったじゃん、どこ泊ったの」
「彼女んち」
「この前の子なら、彼女実家じゃなかったっけ?」
「別の子だよ」
「へぇ~?でもさ、甚平は彼女代わるとSNSにあげるじゃん」
「あ、じゃあ。彼女じゃねぇかな」
そろっと甚平の手先が私の指に当たり、私は思わず甚平を見る。
胸の当たりがギュッと詰まった。
「まあいいけどね。フラフラしてると、岬に嫌われるよ」
何のこだわりもなく、玲奈さんは言う。
「わ、わたしぃ?」
「そ。岬はヤリ××嫌いでしょ?」
「それは、ま。そうだけど」
「だってさ、甚平」
「うぃーす」
今藤が適当な返事したときに、店の中から男性が出てくる。間宮享俊さんだ。間宮さんはウェーブのかかった黒髪を持ち、柔和な印象が強い。
「おはよう」と言って甚平を見て、その後私を見た。
「岬ちゃん、久しぶり」
と声をかけられた時点で、先制攻撃をされた、と私は思うのだ。
「お久しぶりです」
そう答えるのが精いっぱいだった。
「そんなにかしこまんないで」
と言われるけれど、私は間宮さんに気安くなれない。
「も、行くわ。今日は店出るから」
と言って、今藤は私の手を掴んだ。その様子を見ていた玲奈さんが、
「甚平、分かってるよね?」とハスキーボイスで言う。
「はいは~い」
ひらひらと手を振って、行こ、と今藤は私を引っ張っていく。
※
キスの罪
学校に行って、講義室に向かえば佑と夏川がすぐに近づいてきた。基礎教養の時間だったので、科の違う二人とも同じ授業だ。
「で、何にもなかったわけは、ないか。岬結構飲んでたし」
佑が私の隣にいる今藤に話かける。
「ま、ご想像通りじゃん?」
「うわぁ……。何か、覚悟してたとはいえ最悪な気分。甚平に行かれると、一気にチャラい感じに染め抜かれるっていうか」
と夏川が言う。私の顔を見て言うけれど、
「何にも変わってないし、何にもしてないから。今藤が相変わらずチャラいだけだから」と私は答えた。
「一回、結構強引に中こすったら。痙攣した鵜方に爪で頬っぺた引っかかれて。ほら」
今藤は少しだけ赤みをおびた頬のあとを二人に見せる。記憶にない。今藤は緩急をつけてくるので、時々身体が驚いたのだけは、覚えている。
「ば、バァカ、何嘘ついてんの?妄想でしょ」
「はぁあああ、マジかぁああ。甚平に……!」
夏川がわざとらしくため息をついてみせた。
「それで分かった?」
佑が今藤に尋ねるので、私はきっと睨みつけてしまう。
「四択のまま。でも、先輩は違うかもな」と今藤は言った。
「可能性が一番高いのは?」
「四割がたは……」
私は三人を睨み飛ばす。
「趣味悪い。彼女作れば?どうでもいいじゃん、私のことなんか」
今日は授業出ない、と私は言って、講義室を出た。
私とのことを隠しもしない今藤も、深入りして探ろうとする佑も夏川も趣味が悪い。
「鵜方」
部屋を出て中庭に向かっていけば、追って来た気配がしたので、そのまま振り返らずに進む。
手を取られたので、
「セクハラ!ヘンタイ!」と言ったら、今藤はひるんだ顔をする。
「ごめん」と見たこともないほど、しゅんとしていた。
「頬っぺたひっかいたのも、嘘でしょ?」
「それはホントだよ」
自分の頬をなぞって見せる。今藤の迷いのない眼差しは嘘をついているように見えないし、その眼力には覚えがある。とても似ていた。
自分にがっかりする。
友達とそういうことをしてしまった、その事実を、突きつけられたからだ。
「すり合わせてさ、気持ちよくなってイケればいいんでしょ?私にこだわる理由なんて、どこにもない。特に今藤は誰とでもするでしょ?私とやったのなんか、今藤にとっては山ほどやったセックスの中の一回きり。なんも、特別じゃないよ」
どうすれば傷つけられるのか、と思って悪意のある言葉を選んだ。
今藤の顔がみるみるうちにくもる。
「ああ」
呻くような声を出した。
「鵜方のオレへのイメージってやつな」
「ホントのことじゃん」
「ただ気持ちよくなりてーなら、鵜方を選ばない。他の子の方がいい。鵜方にはムカつくときあるし。今もちょっとムカつく」
「じゃあ、なおさら」
「でもさ。アイツは、絶対に鵜方を選ばない。鵜方は対象じゃねぇもん、アイツとやることなんか、一生ねぇよ」
ゾワゾワッと這い上がって来た感覚は偽物じゃない。今藤の瞳がとらえて離さない。
「あ、アイツって誰。知らない」
「あんなトロンって顔すんの知らなかった。あんなの、アイツからすれば挨拶だし、意味ねぇのに」
ずるずるっと黒いものが這いあがって来る。今藤はあえて煽っているのが分かったけれど、まんまとその感情が私を包み込んできた。
どうして、今藤がそのことを知っているのか。
写真を見たから?それとも、あのとき?
私が考えを巡らせる間もなく、今藤は言葉を重ねてくる。
「もう、結婚すんの。知ってんだろ」
「し、知らない。誰のこと言ってんの?」
そう言ったら強引に手首を掴んでくる。今藤はいつも飄々としていて掴みどころがない。今みたいに、あからさまに苛立ちを向けてくることなんて、今までなかった。
「どれがホント?ゲーム好きなのとか、バーに来たのとか。全部、そこに集約されんの?どこにも、ほんのスプーンの先くらいも、オレには……」
真正面から目が合う。
「やっぱやめた。だっせぇ……なんだこれ」
今藤は私の手首から手を離した。
「今藤のことは友達だと思ってるよ。ゲームも好きだし、バーにも行きたいって思った。全部本当」
そこまで口にしたら、ぎゅっと抱き寄せられた。今藤の硬い身体の輪郭を認識したとたんに、同時に軽い嫌悪感を覚える。
私が男だったら、何か違ったのかな、と思う。
「鵜方の本命は誰」
耳元で今藤は問う。
熱い吐息が私の唇を蒸らす。何度も何度も唇が触れて、離れてをくり返した。
キス出来ないんじゃなかったの。
木陰のベンチの背もたれに背中を押しつけられるような体勢で、何度もキスされている。誰かが来るとも分からないのに、今藤はやめる気配がない。
一度離しては、私の顔をうかがう。そして今藤はちっと舌打ちをした。
「全然だな」
「なにが」
「顔、全然とろけてない」
今藤は眉根を寄せて、再び唇を重ねてくる。
「やめて、誰か来る」
と言ったら、来ても困らねぇと身勝手なことを平気で言う。
少しつり目がちで、大きな瞳には威圧感がまたある。見つめられると、少し躊躇してしまうような、強い目力。
この目はとても、似ている。
可愛い、顔タイプなんだよね。と言ったことを、本人は多分覚えてはいない。酔っ払うとキス魔になると噂には聞いていて、そのノリを誰もがエンタメだと思っていたようだ。
私は少し期待していて、下心で隣に座った。
ただの挨拶だとは、知っていたよ。でも、期待はかなったのだ。
今藤に上唇をついばまれて、歯を舌でなぞられた。そんなことは誰からもされたことがない。
「なぁ、鵜方の本命ってやっぱり……」
私は顔を背けるけれど、右頬を手のひらで押さえられて動けなくさせられた。
いや、を身体で表してみても、聞き入れられない。
「キスってそんなに特別なもん?名越先輩ともやったんだろ?」
ふるふると頭を振る。
嘘つき、と吐息でとがめてくるので、関係ないでしょと返した。それが良くなかったらしい。
「一旦家に帰って店に戻ってきたら、エロっちい顔の鵜方がいるわけ。たらし込まれてんの、少しムカついたな」
顔を離して下に下がっていったかと思えば、ショートパンツから伸びる腿に吸いついてきた。
ふぅと声がでたら、
「へぇ……感じるんだ、本命じゃねぇのに」
と自嘲めいたことを言う。らしくない、と思った。
今藤は誰かにすがるような言い振りをふするやつじゃない。飄々としていて、いつもラフだ。だからこそ、本音が見えないやつだと思っていた。
私の太腿の間に自分の身体をすべりこませてきて、自分の身体の隆起を服の上からすり合わせてくる。ショートパンツ上から、私の陰核部分に先端をすりつける。
布にも今藤の熱を感じて、ぞろっと奇妙な興奮がかけた。
抱き合って腿を絡めるくらいなら、服の下の高まりは留めておけると思っていた。男性と違って、明らかな反応があるかどうかは脱ぐまではわからない。
でも、たった今、ぬちっと、布を引っ張る粘着質な音がした。
今藤が私の顔を見た。
はっと声で笑ったような渇いた声を出す。
「濡れてんの」
と言う声は硬かった。
顔が熱くなる。違うとも、そうとも言えない。
もう少しきつく戒められる身体ならば、そもそも、今藤と寝ていない。
飲み会にも行っていないと思う。曖昧な記憶の中で、手繰り寄せるのは私の行動の意味を探るような三人の会話だ。
刺激があれば、心とは合致しなくてもできてしまう自分がいる。
今藤のことは嫌いではないから。
身体が受け入れているなら、自分のことが好きに違いないと誤解してくれる人もいると思う。それはある種都合がいい。
でも、今藤はそこまで、浅薄でも短慮でもないと思う。
「今藤と一緒だよ。身体と心は別。分かるでしょ?」
意地悪な私は、意地悪な言葉を選ぶ。
「だな、好きじゃない方が気持ちいい……。感情が揺さぶられるのって気持ち良いだけじゃおわんねぇし。でも、好きな方が……」
耳元でささやかれた言葉は、私を苦しめる。
「らしくないこと、言ってるね……。じゃーさ、今藤は好きな子と付き合えばいいじゃん。私にはきっと出来ないけど、今藤なら出来る」
パチンと視線があったら、顔を寄せてきて口ごと食べるようなキスをしてきた。熱いと声を出したくなるほど、吐息が熱い。
布越しに性器同士をすり合わせて、ふっと今藤が吐息を漏らす。
「やべ、こんなんでけっこー来るな……」
と言って身体を離した。しないんだ、と思った瞬間に布越しに、太腿の間を手のひらで擦り上げてくる。
ふぅあ、と声を出したら、こんなんじゃなんともねぇだろ、と言ってゲラゲラ笑ってベンチの上からおりていった。
軽薄でラフな印象じゃなくて、切なそうな顔でこちらを見る。
「ムカつくと燃えるわ。でも、ゴムねーし、やんねぇよ」
と手を振って去っていく。
「……」
ベンチの上に残された私は身体を起こして、身体の火照りをさます。
バカみたいだ。失敗の上塗りをしている。
下心
半年ほど前の、あの日のことは覚えている。
間宮さんのバーの飲み会に参加していて、玲奈さんとたまたま二人きりなるタイミングがあった。
「みさき、チューしよっか?」
心臓が高鳴って、頰が蒸気する。でも、バレたらいけないと思って、玲奈さんからしてーと甘えてみる。
期待しちゃいけない。期待したら、期待の分だけ、落胆と痛みがやってくるから。
「うん、するー」
酔っ払った彼女は、私の両頬に手を添えて、唇にキスしてくれた。
匂いも味も覚えてない。ただ、ただ、頭がパニックになっていた。
当たると期待していなかった宝くじに当たるようなもので、とてつもない驚きと、熱狂そして、反動の落ち込みがある。
これは、何にもないキス。
キス魔だからこその、酔いの中のキスだ。
そう心には刻みながらも、夢見心地だった。
憧れの玲奈さんにキスされてしまった!
ぼんやりとしていたら、玲奈さんはテーブルに突っ伏して、すやすやと寝息を立て始めていた。
「そろそろ、岬ちゃんかえしてあげないと」
とやって来た間宮さんが言えば玲奈さんは誰かに連絡する。
ノロノロとやってきた今藤が送ってくわ、と言って付いてきた。
落胆に次ぐ落胆。
玲奈さんが送ってくれるわけはない。
「鵜方って一人暮らし?」
「そう」
「……」
微妙な間があった。
「アイツ。試してんな……」
呟いた言葉の意味は分かった。もしも、玲奈さんがあえて今藤を差し向けていたなら、玲奈さんの思惑は外れてしまうとは思うけれど。
「今藤の前カノが授業一緒だからさ、たまに話聞く。今藤って付き合うまでは軽いけど、付き合うと真面目だとか?」
「……真面目っていうのは比較対象がわかんねぇから、ノーコメント。どの前カノかもわからん」
「そーだよね、恋多き男って感じだし」
「や、むしろ恋なんかしたことねーな。鵜方のいう恋ってのが不明」
なんだか、心当たりのない悪事を責められている気分になる。
なんの自覚も心当たりもないけれど。
そうこうしているうちに、家の近くにさしかかる。
「この辺でもういいよ、ありがとう」
と言ったら、キスくらいはくんないの、送り賃。と頰を指差してくる。
あまりに軽薄すぎて、笑えてくるほどだ。今藤は誰とでもキス出来るんだ、と思ったとたんに、その軽薄さに血縁関係を感じる。
そう、キス一つにはなんの意味もない。
関係性があってするキスの意味と、事故のようなキスには決定的な違いがあるのだ。
再現性がない、二度と訪れない機会なのだと思う。
「するかっての。彼女としなよー」
「鵜方は最後キスしたの、いつ」
ぎん、と睨みつけるような目でこちらを見て来たので、答えを知っているのにあえて試しているような気がした。試されるのは、ごめんだ。と思ったので、
「想像してみなよ、きっと当たるから」
私も負けじと睨みつけて答えた。
「酔ってねぇーじゃん、じゃあな」
ヘラヘラ笑って去っていく。
ありがと、送ってくれてと小さく告げた。
今藤とは、それ以降もずっとこんな感じだ。
好きな人の弟。
今藤はいつもナンパで、恋愛無双でいて欲しいと、私は望んでいる。
今藤は彼女ができればSNSに載せるし、別れたことも載せていた。
はるか前の投稿を遡ってみたら、
「経験したことないもん見ると、嫉妬するな」
という一文を見つける。
投稿に反応したフォロワーや元カノらしき子達が、「らしくない」とコメントをしていた。
日付は、あの日だ。
らしくないと私も思う。
私のキスなんか気にしちゃダメだよ。今藤は飄々としてなくっちゃ。
※
変化
その日、ゲームにログインしても、今藤はいなかった。他のゲーム仲間と数回プレイしてからログアウトする。
そういえば、お店に出ると言っていたな、と思い出した。いや、それ以前に、昨夜から今日にかけて、おかしなことが起こってしまったから問題なのだ。
私の気持ちが変わったわけじゃない。ただ、関係が歪んでしまったのだ。
しなきゃ、よかったんだろうな。
手持ち無沙汰になって、ご飯を作って食べる。あと二ヶ月くらいしたら、地元の大学に編入学することに決めていた。
約束というほどの約束ではないけれど、ゆくゆくは父の会社を手伝うつもりでいた私は、元々進学するつもりはなかったのだ。高校卒業と同時に帰ろうと思ったけれど、父にもう少し見聞を深めてこいと言われて、モラトリアム期間をもらったのだった。
留学先での遊び、そんな風に片付けてしまえるような出会いだったかもしれない。高校の頃に憧れの先輩に出会ってしまった。
近づきたいという感覚が、どんな衝動なのかは分からない。でも、キスはしてみたいと思ってしまった。
その感情を受け止めてもらえるとは、思わなかったけれど。今藤の言うように、玲奈さんは私を選ばない。玲奈さんは間宮さんと結婚するらしいし、そもそもそういう対象として私を見ていないのは知っている。
惹かれる衝動がなんなのかは分からない。自分の恋愛対象や性愛対象の性別も、相手の様子もはっきりわかるほどの恋愛経験はない。
ただ、大学に入ってから、手痛い失敗をしていた。
ご飯を食べ終わって、通話アプリを開いたら、
「甚平がおかしいけど。なんか知ってる?」と佑から連絡が来ていた。
「おかしい?」
「アカウント全消ししたっぽい」
「え?」
相互フォローになっていたはずのアカウントは見当たらない。
なんで?
通話アプリで今藤に聞いてみようか。と思って、昼間の様子を思ってやめた。
閉じた瞬間に通話が来る。今藤だ。
「今藤?どーしたの?アカウント消しまくってて、佑が心配してたけど」
「何もない。けどまあ、そんな困らねーし、過去のあれこれ消したくなって」
「は?それ、何もなくないじゃん。アカウント全消しって、何かの予兆っぽくて怖いから」
「じゃ、出てきて。バーの前で待ってる」
「今から?今日は、もう遅いし厳しいかな……」
「じゃ、今から鵜方の家行く」
通話を切ってしまう。
しばらくしたら、インターフォンが鳴った。ドアスコープを覗けば、今藤がいる。ドアを開けたら、お疲れ、と言って入ってきた。
「お疲れは、こっちのセリフなんだけど……」
「簡単にドア開けんなよ、襲っちゃうよ」
「意味、分かんない」
訳のわからない今藤に少しばかりの苛立ちを覚えて、そのままぶつけてしまう。単純に、今藤のいないゲームがつまらなかったことへの八つ当たりだ。
「店をこっそり抜けてきたから、すぐ帰る」
部屋にあがろうとはせずに、紙を渡してくる。
「え?」
「帰るわ」
と言って、今藤はそれ以上何も言わずに帰っていく。
「い、いや、なんで?」
取り残されて戸惑ってしまうけれど、アカウント全消しの説明もなく、ただ、紙を渡された。二回折られた紙を開けば、好きかも?と書かれていた。
好きかも?って何?
なぜ、紙を渡してくる?
しかし、奇妙な今藤の行動は毎日続いた。
学校で会えば、今藤は何も言わずに、紙を渡してくる。渡すというよりも、突き出して受け取らせるという感じだ。
一緒に飯食いたいかも?休みの日に、会いたいかも?とクエスチョンマークで終わる言葉を書いた紙を渡してくるのだ。
なんなの?
今藤が紙を渡すときに、佑や夏川が居合わせれば、
「ラブレター?」
と佑が言ってくるし、夏川は、
「アナログ回帰?最近の甚平は変なふうに尖ってるじゃん」
とコメントする。
今藤の意図が分からない。
何回かそんなことが続いて、とうとう我慢できなくなった私が、一緒になった授業で、
「今藤、ちょっと話しよ」
と声をかけたら、
「紙を介してくんない」
と言われる。聞き取り間違った私が、
「え、紙を返せばいいの?」
と言ったら、今藤は、面倒くさそうに首をふって、
「いや、直接話かけんの、やめて」と言ってきた。
「え?」
そう言ったきり、少し離れた席へ移動していく。
何それ?心で思ったときに、
「あいつ、人生で一番こじらせてるかもなぁ」と佑がコメントして去っていく。
紙を介して?つまり紙で会話しろってこと?
なんであからさまに避けられなくちゃいけないんだろう?
元々、今藤が本命がどうとか、キスがどうとか言ったから、こじれたのに。
不服な思いが募るけれど、今藤のいないオンラインゲームはつまらないので、手帳のフリースペースをちぎって、ゲームしようよ、と書いて、二回折り曲げる。授業の終わった後に今藤に渡した。
受け取ってすぐに読んだ今藤は、ペンで裏側に、OKとだけ書いて渡してくる。
一言も発することなく、カバンを持って去っていく。
近づかないでって言いたいのかな、彼女できたとか?と不意に思う。
だとすれば、辻褄が合う。
その日は帰ってから課題をして、ご飯を食べてログインした。
オンラインだと分かったらしく、すぐに今藤が参加してくれる。
3戦してから、「そろそろやめる」とチャットに入れたら、
「また明日」と返ってきた。話が終わるかと思ったけれど、つい聞いてみたくなって、
「彼女できた?」と聞いてみてしまう。
ログアウトしたあとかと思ったら、
「今からいく」と返ってくる。
意図が見えないまま、昨日と同じように今藤はやって来た。
また紙を渡しにくるのかな、と思ってドアを開けたら、
「開けんなって言ったじゃん」
と言う。
「紙くれるんでしょ」
手を出したら、紙を渡してくれた。
「彼女できてない」と書かれていたので、さすがに、突っ込みたくなる。
「なんで、わざわざ紙を渡してくれるために。ここにくるの?通話でも、チャットでもいいのに」
今藤は何も返してこない。
「アカウントも全然復旧してないし、なんなの、大丈夫?メンタル病んでるわけ?」
そう言ったら、睨みつけてきて、
「一からやるんだよ」と言う。
「一から?」
「彼女いたことねーし、やったこともないし、オレはピュアなんで。一からって感じで。手紙から始める」
あの紙切れは手紙だったんだ、と今藤の意図を今知る。
「いやいや、誰がピュアよ。アカウント消したからって、過去は消せないよ」
「なんも、わかんねーの。やり方わかんねーし、どんな風に彼女作ってたかわかんねー。鵜方とやんなきゃよかった」
「それはこっちのセリフだから、やらなきゃよかったよ」
「飲みいく?」
「行かない」
「じゃ、キスして」
「は?」
唇を指さして催促してくるけれど、あまりにも脈絡がない。
「何でキスなんかしなきゃいけないの?」
「しなかったら、ただオレが悲しい」
「……らしくないよ」
「キスしたら治る」
と言って玄関でうずくまってしまった。
意味不明の行動に、ムズムズしてきてしまう。
「私の知っている今藤は女の子にモテて、すぐに彼女作ってて、恋愛無双で。細かいことを気にしないやつだよ」
「恋愛と彼女は関係ねーじゃん。とりあえず嫌じゃなければ付き合うし」
「贅沢者……」
モテる人の理屈だし、許容範囲が広い人の発想だ。
「キース、キース」
こちらを見上げながら、キスコールをしてみせ、私がのらないので諦めたらしく立ち上がってくる。
「これのどこが、ピュアなわけ?邪魔なんだけど、帰ってくれない?」
「つらい。ロックかけといてくれれば、侵入不可って分かるし、レベル足んない、課金たんないって分かるじゃん。鵜方はロックかけないくせに、侵入不可だから。つらいわ、心削られる。どーにかしろよ」
「キスなんか、感情なくってもできるでしょ」
「できなくなったから、困ってんじゃん」
「勝手に、困ってればいい」
すがるような目をして、私の唇に、親指を添える。
「して」
私は首を横に振った。
「再現性のないキスってさ、つらいだけ。事故みたいに一回できても、次がないって分かったら……」
途中まで口にしたところで、強い目力で射抜かれて動けなくなる。姉弟揃って、目力が強い。
「願ってるだけの、受け身な鵜方とは違うんだよ。オレは何度も攻めるし、再現させる」
結局、今藤が私の両頬を押さえて、額にキスしてきた。
唇じゃ、ないんだ、と思ったのが率直な感想だ。
「期待してたみたいな顔」
「違うよ!」
「ふーん?」ニヤッと笑い、いつもの今藤の表情になった。
「鍵ちゃんとかけとけ。簡単に、開けんなよ。襲われるから」
と言って今藤は帰っていく。
妙な変化を遂げた今藤に、私は驚きを隠せなかった。
※
怒涛の攻め
「一緒に飯食お」
と今度は通話アプリ経由で連絡が来る。同じ授業で顔を合わせるのに、直接話しかけてこないのだ。
なんなの?
一応、いいよ、とは答えるけれど、今藤の行動に違和感満載なのだった。
授業終わりの時間で待ち合わせて、ご飯を食べにいく約束をする。
約束の時間まで少し暇だったので、校内を歩いていたら、実技館の前に着いてしまった。最近は来ていないけれど、一年生の頃は自由参加のアートワークに参加していたこともあって、毎日のように来ていた。
実技館の前に着いてしまってから、やばい、と思い引き返そうと思う。楽しかった思い出を汚したのは、自分の失敗だった。
「あれ、鵜方さん?」
ゾクっと思考から現実が染め抜かれたように感じる。
後ろから飛んできた呼び声は、自分の妄想の産物であって欲しかった。
「久しぶり」と横に並んできた名越先輩に改めて声をかけられて、現実であると再確認する。
「お久しぶりです」
顔の筋肉の強張りを感じながら、私はなんとか言葉を発する。名越先輩が、くすくすっと笑った。
「硬いなぁ~」
用事があるので、行きます、と付け加えようとしたら、
「彼氏いないなら、また遊ぼうよ。俺も美波と別れちゃってからは続かなくってさぁ」
と先手を打たれてしまう。
私の罪悪感をうまく突いて、さらに自分との過去を匂わせる。名越先輩は私が簡単に何かを依頼できるような相手じゃなかったのだ。私が渡り歩けるレベルじゃない。
「先輩に、私は合わないから」
「鵜方さんって可愛いし、俺はありだけど。いつでも呼んでほしいくらい」
どうして。本気で好きなわけじゃないのに、好きなふりできるんだろう?
ここで私が乗っかれば、気軽に遊べると思っているから?
「作品作りも好きなんでしょ?今度一緒にやろうよ」
また機会があったら、と締めくくろうとしたのに、
「今からでもいいよ」
としつこく重ねてくる。
最初の関係がフェアじゃなければ、きっと、ずっとフェアじゃない。私がへりくだった感じで名越先輩に近づいたから、名越先輩がずっと私を下に見るのだろう。
名越先輩の罪じゃない。それは私の罪だ。
「この後約束があるから、今からはちょっと無理です」
「じゃあ連絡先交換しようよ。いいじゃん、そんなさぁ、真面目なフリしても、意味ないよ。鵜方さんの評判ってさぁ」
自分で十分に分かってることを、人からあえて言われてしまえば、調理油を直接胃に流し込まれるみたいな状態だ。逃げ場のない胃もたれに襲われる。
何か、言わなきゃと思ったら、名越先輩が顔を寄せてきた。
「キスしてくださいって。また言ってみてよ」
ヒュン、と息を吸ったきり、息の吐き方を忘れる。名越先輩の顔が近づく。
「ほら」息のかかりそうな近さだ。
そのとき、
「キスしてくださぁーい」
軽薄な声が飛んできて、私と先輩は同時に声の方を見た。
「うっわぁーマジでうらやましいー。キスしてくださいって言ってもらいてぇ。その配置交換してくれませんかー?」
と今藤がわざと大きな声で言うので、近くにいた生徒が一斉にこちらを見る。
「名越先輩、いくら積めば交換してくれますかー?金ないけど、さすがに実行犯とかは無理なんですけどー」
訳のわからない適当な嘘をつくので、
「今藤……」
見たこともないような、苦々しい顔をして先輩が私から離れる。そうしているうちに、今藤が近くにやってきて、
「鵜方ぁ、バックれんのやめろよ」
と言う。
「いや、そんなつもりなくて。時間が早かったから、時間つぶしてただけ」
「オレにも言って。キスしてって」
同じ話題をしつこく繰り返すあたり、名越先輩とある意味では似ている。
「今後一切言わない、誰にも」
名越先輩にも視線を一度向けてから、今藤の肩を叩く。
「行くよ、今藤」
名越先輩の方はもう見ない。
「へぇ、軽いねぇ」
という嫌味は聞かなかったふりをする。
一緒に歩いている間も、
「キスしてくださぁい、かぁ」
と何度も言ってくるので、だんだんイライラしてきた。
名越先輩を少しマシにしたのが、今藤なのかもしれない。
「先輩の話を信用するってことはさ、今藤も私の敵ってことだからね」
「おっけ、じゃ飯行こ」
しかし、こうして軽く流してしまうあたり、今藤は先輩よりも手強いのかもしれない。
キスしたいです
カウンター席で並んでラーメン食べる。食べ終わって、店を出た後で、
「これからお店出るんだよね?」と聞く。
今藤はいつも通り間宮さんのお店に出ると思ったのだ。
「今日は休み」
「じゃあ、これから帰るの?」
と聞いたら、今藤がジッとこちらを見てきた。
「怖いんだけど、その目力……。何?」
「付き合ってください」
と返ってきた。
「はい?」
「付き合ってください」
ともう一度言ってくる。
「やだよ」
「じゃ、結婚してください」
「それは、もっとないってば」
「籍だけ一緒なら、何しててもいいわ。誰とやっててもいいし、どこ行っててもいい。苗字なんか一緒じゃなくていい。結婚しよ」
「なんなの?」
「やり方忘れたんだって。鵜方のせいで」
クドクドと何度も同じ話題を言われ続けることに、嫌気がさしてくる。
「人のせいにしてないで、彼女作れば」
「鵜方は彼女になってくれないわけ」
「ならないよ。付き合ったら、別れなくちゃいけないから。今藤は友達」
「分かった。じゃ、一回やっておしまいにするか。やらせてください」
「もー……いいから、帰れば?」
「じゃ。姉貴に鵜方と付き合ったって言うわ。やっちゃったわって言う」
ここで、玲奈さんのことを持ち出すあたりがいやらしい。
「い、言わないで。玲奈さんにそういう私の部分見せたくない」
「じゃ、キスさせてください」
大きな声で言うから、通行人の目線が痛い。
「もうやめてよ、恥ずかしいから」
「キスしたいでぇす、キスしよ」
と繰り返す。酔っ払っていないのに、面倒な絡みをしてくる友達に困り果ててしまう。
「分かったもういいや、うちでゲームしよ」
と私は言った。
家のドアの前で、今藤は言う。
「何度も言ってんだけどさ、家に入れるのってやばいから。襲われるから」
「その価値観が、おかしいってこと。そろそろ気づいた方がいいよ、今藤は」
部屋の中に入った後でも、
「襲っちゃうよ」
欲求不満の中高生みたいなノリを続ける今藤に、ややげんなりしてきた。
ソファーによりかかって、ゲームアプリを起動する。
「今藤のこと全然そういう対象としてみてないし、きっと全然不感症だと思うけど。ひょっとしたら後で訴えると思うけど」
「それでいい。キスさせて」
首を曲げて、私の顔を覗き込んでくる。
「この前みたいのなら、許す」
と言ったら、両頬を手のひらで包み込んできた。額にキス、かと思ったので、目もつむらないでいたら、唇にキスしてくる。
「は?」
取り落としたスマホがラグの上に落ちた。
「襲っちゃうって言ったじゃん、鍵かけとけって言ったのに」
キツく抱きしめてくるので、ゲームするんだよ、と私は返す。
「鵜方をもう一人用意してくれたら、持ち帰るから。用意してくれ」
めちゃくちゃなことを言う。
「何言ってんの」
「欲しい、ちょうだい」
甘えた調子で耳元で囁いてくる。
「なんなの?」
「鵜方のこと、好きかも」
「ありがとう」
「付きあ」
「いません。ゲームしよ」
「人生で一番、フラれてる」
スマホゲームで遊んだ後に、お願い、一回……と土下座された。何でそんなダサい真似をするんだろ?と今藤の恋愛無双時代を知る私は思うのだ。
「今藤……悲しいからやめてよ。お願いだから、モテ男でいてくれない?」
「童貞だから」
「誰がだよ、両手両足でおさまらないじゃん」
キスだけ。と顔をあげていってくるので、キスだけなら、と返す。泥試合だ。
キスだけ、とは言ったけど。
服の上から見える場所見えない場所、のべつまくなしにキスしてくる。
ショートパンツや、Tシャツの上から身体中にキスしてくるのだ。
恋愛していない相手なのに、キスされ続けていくと、身体がソワソワっと熱くなっていくのだ。
「ほら。ロックかけとかないと、勘違いして入っていいって思うわけ。ひょっとしたら、惚れてくれてんのかなぁとか思って、期待する」
「幸せな勘違いだね」
キスに次ぐキスで、身体が熱い。
「……ニとか、……めさせて?……の中、舌入れていい?」
「それはキスとは言わない!」
と言ったのに、絶対に気持ちいい保証つけるから、としつこくしつこく、アピールされて、全身食べ尽くされた。
願っているだけの受け身な私とは違う、自分は何度も攻めて再現させる、と今藤は言った。確かに彼は数打てば当たる方式で、何度もアプローチしてくる。チャレンジの回数を増やして、成功した回数だけ数えるみたいなやり方で、再現させるらしい。
その行動力に目を見張ることはある。けれど、顔を寄せてきたのだけは、拒否した。
「あちこちにキスした直後で、口にするのは無理。マジでそれだけはいや」
許せることを許せないことがある。
「じゃあ、代わりに……やろ?」
まるでそれが条件としては下のことかのように口にする。
「今藤は気持ち良くないんでしょ?私のことムカつくから」
「鵜方は好きじゃなくても気持ちいいんだろ?じゃ、いいじゃん」
ああ言えばこう言うという感じで、だらしない私たちはもう一度、身体を繋げてしまった。十分とろけたお互いの身体はすぐに、弾ける。
「好きな方がムカつくし、いとしぃー」
と言って耳たぶを齧ってきた。
「付き合って」
「やだ」
ひとしきり身体を合わせた後で、ラグに横になってアプリを開いたら、玲奈さんが新居の内見についてポストをしているのをみつける。
スマホを持つ手が震えた。
「玲奈さん、結婚式よんでくれるかな……。つらいけど、さすがに、呼ばれないと寂しい」
「式とかあんまり興味なさそうだけどな」
「はぁ……」
「オレと恋愛ごっこしとけばいいじゃん。結婚ごっこでもいいけど」
「彼女作れ?」
「鵜方が地元帰る前には、彼女にする」
「ない」
「じゃ、セフレでいいから」
「ない、ゲーム上のフレンドでしょ」
「じゃあ、ゲームフレンドがリアルに出てきてくれて、やらせてくれたことには感謝しなきゃなぁ。1ヶ月ぶりで気持ちかったぁ~。来月もお願いしまぁす」
と言って手を合わせて、こちらに拝んでくる。
「うるさい、今藤!」
おかしくなった今藤には困っている。
けれど、あらゆることがどうでも良くなるくらいに、どうでもいい話題を放り込んでくる今藤といると、過去の失敗が少しずつ昇華されていくのを感じていた。
おしまい
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